阿弥陀岳
去年の3月連休に赤岳に登った時に、来年は阿弥陀岳だ!と思って計画していたが、3月中には日程がとれず、やっと4月になり行くことができた。単独なので、なるべく人の多い頃ということで連休に行くことが多かった私の山行でしたが、今回は普通の土日だったので、それなりの充実感?を持った山行になりました。
山行地域 /形態 八ヶ岳 / 小屋泊まり 雪山 メ ン バー MINMIN コースタイム
2001年4月14日(土)
美濃戸口バス停 11:15発 美濃戸12:07〜15 途中2回小タテ 赤岳鉱泉14:33
4月15日(日)
6:30出発 阿弥陀岳山頂 10:20〜50
行者小屋11:05〜? 美濃戸バス停 ?
画 像
【第1日目】
7時15分ごろの特急あずさ66号新宿発で山に向かう。中高年登山のおば様達グループが塩山で降りるまでは結構にぎやかだったが、降りたら急に静かになった。朝からすごいパワーだ。自分はというと、1週間の仕事の疲れが土曜日は出ていて疲れた〜の感じでうとうととしていた。甲斐駒あたりの景色が見えてくるとすごく南アルプスの雪が多くてこれは期待できそうだと思ってものの、八ヶ岳が見えてくると、ぐっと少なそうでちょっとがっかり。
美濃戸口へのバスは20名ぐらいが乗っている。11時少し過ぎに到着。完全に雪はなく、ちょっと拍子抜け。去年の3月はすごく多かったのでここから雪があったのになあ・・・。11時15分ごろより出発。気温も14度と高くあっというまに暑くなる。我慢して車道を歩いていると、何台も4WDの車が抜いていく。もう、時代は美濃戸口から歩くなんて古いのかなとは思うものの車を持っていないんでやむなし。
ひとしきり汗をかいて着いた美濃戸山荘の前では、さっきの車で来た中高年登山の連中などがわんさといた。少し休んでから集団に取り込まれないように早く歩きだす。ほんの少し行くといきなり雪がたっぷりでてきて、さっそくスパッツをつけて歩く。シャーベット状でずぼっといきそう。段々日が翳ってきて、小一時間歩いて沢を渡る頃になると寒い。震える感じでヤッケを着て、お握りをほおばる。そうこうしていると、美濃戸から歩き始めた集団が元気一杯に合流。うーん、こっちは車道歩きで疲れが出始めているのに・・・・ 結局少し先で彼らに先に行ってもらう。先頭は70代近い男性だが、ゆっくりだが足取りは確かだ。でもストックだけの人や、やたら厚化粧の女性も目立つ。
赤岳鉱泉に着く頃には、すっかりどんよりとした曇り空。テントは2張りしかいない。ここの小屋は去年来てすっかり快適でお気に入り。全館暖房のように暖かいし、大広間に泊まったがこたつもあって、談話室ではエベレストBCへのビデオもあったので、思い出深いのでよくよく見てしまった。ちょうど同じ頃にアンナプルナ内院に行ってきた人もいて、ひとしきりネパールの話で楽しむ。夕食も豪勢で大変おいしい!
すると、ちょうど去年黒百合平の小屋に1月連休でお会いして意気投合した女性と再会。彼女はヨーロッパアルプスのバリエーションやモンブランやエルブルース(5600M位)、チンボラソ、パリナコータ(ともに6300Mぐらいの山)に登頂したすごい女性だ。今年の2月にはマウントクックにのぞんだがクレバスの関係でその山には登頂できなかったが、その代わりバリエーション6本も登ってきていて、そんな話でもりあがった。とてもリタイアした60歳の人とは思えない!
【第2日目】
今日は朝から快晴。5時半朝食、6時半出発。全部で小屋には50名以上80名以下ぐらいが泊まっていたと思うが快適だった。でも、玄関でアイゼンをつけている人も目立つ。人を連れてきている立場の人がこうだから、推して知るべきという感じが結構目立つ。かと思うとバリエーション組みやガイド登山も多い。
私は今日も足が重い感じで、あっという間に中山乗越までくる間にどんどん抜かされてしまった。アイゼンは行者小屋でつければよかったなあ。わずかに新雪が1cmぐらい積もっている。乗越で少し休んでから行者小屋に降りていくと、今日歩く阿弥陀への稜線がはっきり見える。うーん、中岳の上り下りがめんどくさそう。文三郎道にくると、傾斜があってまるでアキレス腱伸ばしの運動をしているようだ。時々息を整えるが、情けないレベルの登高スピードである。日が当たらないので冬山って感じで寒いが、でも赤岳の岩壁はほとんど雪がついていない。やっと稜線に着いた。ここから、初めて南アルプスの方の展望が見えた。権現岳が去年と違って随分雪が減っていてトレースも見える。やっぱり4月の山である。ここからはほとんどの人が赤岳に向かうので阿弥陀へ行く人は見当たらない。
覚悟を決めて?雪が半分ない道をアイゼンでざくざく降りる。あっという間に中岳についた。ここまではうっすらとトレースがあったが、ここからは完全に無い!!! うーん、こんな稜線でトレースがないところを歩くには自分にとっては初めてである。阿弥陀岳の取り付きからは微かにトレースが見えている。中岳沢からつめてきているもののようである。左側はやや雪庇ぽいので、右よりにトレースをつける。一歩一歩アイゼンとピッケルを確認しながら進む。雪はほどよくアイゼンが効くのでアイゼンの歯がこんなにありがたいとは思わなかった。でも、つんのめるように右に落ちている斜面を降りているので、このまま樹林につっこむのではないか、後戻りしたいような緊張した時間が続く。時間にすると多分5分とか10分とか。距離でも後で地図を見るとたいしたことないところ。 近くに人はいないし、時々阿弥陀北稜のバリエーションをやっている連中が笛を吹くのが聞こえてくるだけの静寂な空間。でも、風が八つとしてはほとんどないレベルなのが何よりも助かった。それでも左に寄ると風の吹き上げを感じるが、風が強かったら絶対自分では危ないルートと感じた。
必死の思いで阿弥陀の取り付きに到着。ここであまりの緊張でこのまま降りてしまおうかと思ったし、ここからの取り付きの傾斜ははんぱでなく、雪の壁を登るような感じ。少し落ち着いて、途中まで行って、もっとやばくなるようなところが出たらそのときこそ撤退しようと心に決めて登り始める。たぶん2名程度登ったトレースがあるのでそれを頼りに登り始める。やっぱりトレースをいかに自分で頼りにしていたか痛感する。そこの急登をクリアすると、やや傾斜がゆるんだ感じがする。だんだん登っていると、右手から北稜からの連中がザイルはって登ってくる気配がしてきて心強い。どこが山頂か、あの白い壁の向こうに何があるんだろうと、思ってそこの壁を越えたらいきなり山頂!!だった。10時20分頃到着。
初めてホッとして、景色を堪能する余裕が出てきた。初めてあんなに富士山が立派に正面に鎮座していることに気がついた。春霞っぽい感じがあるが、北も南も御岳も全部白い峰峰がつらなっている姿が一望のもとになった。うーん、来た甲斐があったものだ。独り占めの山頂で10分ぐらいたつと、朝から何度か会話を交わしていた日本語べらべらの白人のカップルが北稜から上がってきた。その後1パーティー3名も来た。もう1パーティもすぐ下まで来ている。急に賑やかになってきた。阿弥陀は南稜が有名だが、北稜もかなりメジャーなバリエーションルートのようだ。穏やかな天気で30分ほど休んでから下山。下りは思ったよりもラク。途中で赤岳を経由して登ってきた人達が3〜4パーティ登って来ていた。 うーん、私のトレースの後を皆来ているのだと思うとなんだか急に嬉しいような誇らしい?ような気分になった。
コルまではあっというまに15分ほどで降りる。ここから、本当は中岳沢は私が登山を始めた頃に10名以上底雪崩れに遭って死亡者を出しているのでくだりたくなかったが、今日は雪もしまっているし、積雪量もそんなに多くないので、なるべく速やかにかつ静かに降りることにした。あっという間に雪のエスカレーターのようにおりて、危険地帯をあっというまに脱出。行者小屋まで山頂から30分弱で降りることができた。これだから、雪山はこたえられません。スキーがあったら適度な斜度でパラレル決まりそうな斜面だった。
行者小屋ではあちこちの山から下りてきた人がちょうどお昼前なのでくつろいでいる。春の日差しが暑いくらいだ。ここからは南沢を一気にくだって、バスの14時45分発には余裕で戻ることができた。家には7時前には戻ることができて、満足な、だけど自分としてはかなり緊張した山行になった。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||