第17回 日本山岳耐久レース(24時間以内)
(長谷川恒男CUP)
【大会への想い】 いまでは日本山岳耐久レースと言うよりも、通称のハセツネと呼んだ方が通りが良い時代になった。申し込みするのでさえもランネット(ネットでのランニング関係の申し込みサイトのこと)で2〜3時間で締め切られたとか、予選の30Kに出場しなければならないとか・・・・。本当に参加すること自体が困難になったとは、時代の流れを強く感じる。(まるで東京マラソンみたい?) 私が今回参加したのは、第10回大会(2002年)にすごく軽い気持ちで参加して、第一関門時間切れという哀しい結果で敗退したことを、いつか払拭したいという想いがあったからだ。敗因は自覚していなかったけど、自分は健康ではなかったからだ。(興味のある方はこちらの第50話をご覧ください。) 今は病気も克服できて、当時よりも仕事環境にも恵まれて、一時は本当に減っていた山行回数も増えてきたので、今度こそ・・・・の想いがある。健康であることのありがたみを本当の意味で気づかせてもらった、そういう意味では第10回の大会はとても貴重な体験だった。そして再び今大会のスタートに立てたことは、自分にとってはとても深い意義があることなのです。 そもそも日本山岳耐久レースは当時としてはとても変わった大会で、そういうのが奥多摩で開かれるということは第1回の時から知っていた。ただ、俊足な登山者とは言い難い自分なので、1回ぐらいはチャレンジだけでもしようかなとずっと思っていた。それで思い立って第10回の時に申し込んでしまった。8月末ぐらいまで余裕で申し込みが可能だったし、参加者も感覚的には登山者とランナーが半々ぐらいの感じだったろうか?当時はまだ登山靴を履いている参加者もそれなりには居たと記憶している。 そもそも、長谷川恒男氏がどれだけ凄い人だったのか、単なる大会の名前に冠されている程度にしか認識されていないランナーも多いと思うけど、私にとって、長谷川恒男さんは高校生の時に山に興味を持ち始めた時に見た「北壁に舞う」という映画のヒーローなのです♪★ ストイックだけど、華やかなヒーローでした。この映画はグランドジョラス(ヨーロッパ三大北壁)の単独冬季初登攀の様子を映したドキュメントで、後年、私が初めてヨーロッパアルプスの登山に出かけた時にグランドジョラスを遠望してとても感慨深く思ったものでした。 長谷川恒男氏が本当に大会のように山を駆け巡っていたのか? 本当のところはもっと重装備で夜間の登山訓練(いわゆるカモシカ山行と呼ばれる登山形態)をしていたというのが真相じゃないかと思う。だけど、こういう大会の名のもとに私のような山岳会に特に入っていない個人でも比較的安全?な状態で夜間歩行訓練ができるのはとてもありがたいことだ・・・・と思っている次第です。 |
【装備】 ハセツネには何よりも軽量化が大切だけど、実際は24時間近くかけて踏破しようという私と、上位のランナーとでは当然のように装備は違う。膝の調子が右も左も、直前の山行では交互に少し痛くなっていたので、2本のストックは必須。今更軽量な物に変えるのもどうかと思い、たぶんストックだけで500gはあるか・・・。
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【食料と水】
●水分 水分は重たいのでどの程度持参するか大いに悩んだ。私はハイドレーションシステムが苦手。前歯2本が義歯でかつ歯医者さんからは「前歯では絶対に硬い物は食べないでください」と厳命されているので、あのチューブを噛むように?吸うのが怖い。 そうしたら、大分前に買っていて使っていなかった、ペットボトルに簡易的にストローで吸う便利物を持っていることを思い出した!(keikouさん、ありがとうございました♪ 西丹沢でニアミスした際に思い出しました!! ) ザックの肩紐の外側に装着すればよいので、固定方法を少し強化して走れる程度に仕上げた。これでバッチリ★ 500mlごとに交換すればよいので、完走目的の私のような人には十分交換時間はあるし、何よりも残量がわかりやすいのがよい。
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